2009年3月24日 (火曜日)

那須は梅の季節

棚田

20日から帰省していました。東京近郊では桜が開花しましたが、栃木県に入ると桜のつぼみは未だ固く、丁度梅が満開でした。

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2009年2月16日 (月曜日)

しきたり

法輪寺

親戚の法事で帰省していました。この時期、那須下ろしの空っ風は相当に冷たいだろうと防寒対策をしっかりしての帰省でしたが拍子抜けでした。さすがに日が落ちると屋外の寒さは堪えましたが、昼間はポカポカ陽気でコートも要らない位でした。今年は暖かいですね。

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2008年12月20日 (土曜日)

今日は写真展へ

カンボク?(大田原市・法輪寺)

今日は午後から松戸まで写真展を見に出かけました。連れ合いの知人が参加しているJRP松戸支部の写真展です。この知人の方から写真展の案内状が届いていたのですがなかなか行けないでいました。昼食が終わった後急に連れ合いが行こうと言い出して、急遽出かけることになりました。

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2008年9月 5日 (金曜日)

風邪です

コスモス

月末30日から法事で山形に行ってました。往路の宮城県内を走る高速道路ではゲリラ豪雨とやらに遭ってちょっと怖い思いをしましたが、翌日の法事の時間にはカラっと晴れ上がって夏日となりました。1日には月山まで足を伸ばし、帰路には南会津のそば畑を覗いてきました。

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2008年8月17日 (日曜日)

猛暑と豪雨の帰省

ツユクサ

先週後半はお盆で帰省していました。初盆の親戚・知人宅を廻るなどして、用事を済ませたら那須・塩原辺りに撮影に出かけようと予定していたのですが、当てにしていた17/18日が台風の発生やら前線の南下で雨の予報に変わってしまい登山を諦めて早々の帰宅となりました。

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2008年8月 6日 (水曜日)

あれから14年

ヨメナ

松本サリン事件から14年も経った。神がかりとなった宗教の恐ろしさを見せ付けた事件であったが、警察の誤認逮捕、マスコミの持つ問題点をも併せて明るみに出した事件だった。
河野澄子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。と同時に義行氏の蒙ったご苦労や冷静で真摯な対応、社会への警鐘が忘れ去られることの無いようメディアの再考を望みます。

1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。 60歳だった。

午前6時半、レースのついたピンクのパジャマに身を包んだ澄子さんの遺体は義行さんに付き添われて、松本市内の病院から同市北深志の自宅に到着した。「やっと帰れたね。わが家だよ」と義行さん。部屋に入ると、バッハの「ロ短調ミサ曲」のCDをかけた。澄子さんを送る時に流す曲と決めていた。 東京から駆けつけた長男(29)は義行さんに「ありがとう」と言い、長女(30)は澄子さんの死に顔に「今にも目を開きそう」と驚いたという。

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2008年3月29日 (土曜日)

いよいよ春も本番

カタクリ

暖かい日が続きます。東京近辺では一気にさくらが満開に。

週中に急用で帰省しました。帰り道に旧小川町(現那珂川町)のカタクリ山公園に寄りましたが、カタクリはまだ2~3部咲きといった所でした。

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2008年1月11日 (金曜日)

サイドバーのメニューを折りたたみ式に

 
光丸山法輪寺

前回に引き続き、光丸山法輪寺です。年始とあって屋台も出て賑わっていました。いつもは格子戸の閉まっている天狗堂もこの日は開けられていて前回の写真を撮ることが出来ました。

奥に入ると人出も少なく大きく育った南天が艶やかな紅玉をつけていました。西行桜は茅葺の鐘楼の左手になります。

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2008年1月 1日 (火曜日)

おめでとうございます

 
鎌倉山の日の出

明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げます

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2007年8月29日 (水曜日)

夏の蔵王

親戚の法事に行ったついでに蔵王のお釜を見てきました。

温泉、スキー、そして樹氷で有名な観光地ですが、コマクサを始めとして高山植物の豊富な山岳地帯でもあります。



コマクサ

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