タグ「コバギボウシ」 の検索結果(1/1)

2015年7月 4日 (土曜日)

猛烈な雨

コバギボウシ雨にも耐えて 2015.07.04撮影

昨日はここ千葉でもバケツをひっくり返したような猛烈な雨が降りました。お隣の区では用水路が基準水位を超えたということで避難勧告が出たりしました。ニュースでは水浸しの千葉駅前の広場が写っていましたが、コンクリートで固められた市街地は大雨には弱いものですね~。

咲き出したばかりのコバギボウシがそんな土砂降りの雨にも耐えて花茎をすっくと伸ばして花を開いています。

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2014年7月22日 (火曜日)

梅雨明けてむし暑く

コバギボウシ一花づつ 2014.07.21撮影

関東地方も梅雨が明けました。ほぼ平年並みですが去年が早かったせいか遅~く感じます。明けたとたんに気温が急上昇、蒸し暑いです。
昨日まで60日間の千葉での降水量をみると平年の1.5倍超、東京など他の地域での豪雨は良く報道されたので納得ですが、千葉も降ったんですね~。去年やそれ以前の方が毎日のように雷雨に見舞われたような記憶があるのですが。

コバギボウシが根元から順に花を開いては萎むを繰り返して頂点に近づいてきました。あと数日でこの花も見納めとなりそうです。ユリ科ギボウシ属。

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2014年7月18日 (金曜日)

ケース・フィルターの清掃

コバギボウシやっと花開く 2014.07.18撮影

朝からどんよりとして今にも降り出しそうな雲行きです。この週末は夜になると雨の予報。明日の早朝は毎年恒例のハス祭りが予定されていますが雨はあがってくれるでしょうか。

3月に組み立てた自作パソコンがケース・ファンの形に沿ってフィルターに薄っすらと埃がつきだしたので初めてのフィルターの清掃をしました。ケースの底に取り付けられた電源部のフィルターも併せて掃除しましたがこちらは目立った汚れはありませんでした。

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2013年7月16日 (火曜日)

複雑な気持ち

キンレンカ真夏の光 2013.07.13撮影

真夏の光を浴びてキンレンカ(金蓮花)が鮮やかなオレンジ色に輝いています。ノウゼンハレン(凌霄葉蓮)とも呼ばれ、ノウゼンカズラに似た花と蓮に似た葉を持ちます。ノウゼンハレン科キンレンカ属。
通称でナスタチュウムとも呼ばれますが、それはアブラナ科オランダガラシ属に別の植物が在ります。

一昨日の新聞折込でやっと参議院選挙の公報が配布されました。さて、誰が、どの政党が自分の願いに近いのか。。。
とは言っても候補者の公約ほど当てにならないものはない、、、と言うのが50年近く投票してきた者、先の民主党政権に裏切られた者の感想ではあるのですが。

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2013年7月13日 (土曜日)

とうとう猛暑日に

コバギボウシ涼しげに 2013.07.13撮影

千葉も昨日はとうとう猛暑日となりました。あちこちから猛暑の記録が報道される中でなんとか真夏日に留まっていたのにちょっとだけ35℃を超えてしまいました。

その暑い中を両国の江戸東京博物館まで出掛け「江戸東京博物館 開館20周年記念特別展 ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-」を見てきました。江戸時代の自由で洒脱、繊細で豪放、中には風景写真に通じるような絵画が在ったりして楽しんできました。平日の暑い盛りにも係わらず大勢の入場者で、離れた所からじっくりと鑑賞と言うわけには行きませんでした。

今日は真夏日止まりと思われますが、湿度が高い。アツ~、フ~!

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2010年8月 1日 (日曜日)

夏の赤松林

那須街道

沼原を下りて那須街道の赤松林へ。散歩する人、ヤマユリ見物のおばさんのグループ数組、そして一眼レフを抱えたおじさんも一人。みんな、遅かったネーと残念そう。そう、かなり遅すぎました。最盛期には林全体にヤマユリの甘い香りが漂っているのですがそれもありません。ユリの花は色褪せ暑さでグッタリしてました。

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2008年9月29日 (月曜日)

観音沼と「めでたい話」

観音沼

遅れ馳せの写真の掲載が続きます。会津のそば畑を巡る途中で下郷町の観音沼を覗いてみました。季節柄人も花も少ない時期で沼は閑散としていました。

突如、極めて個人的な話になりますが、昨日は長男夫婦に第一子が誕生しました。女の子です。母子共に元気だったことがなによりうれしいことです。

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2008年8月 6日 (水曜日)

あれから14年

ヨメナ

松本サリン事件から14年も経った。神がかりとなった宗教の恐ろしさを見せ付けた事件であったが、警察の誤認逮捕、マスコミの持つ問題点をも併せて明るみに出した事件だった。
河野澄子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。と同時に義行氏の蒙ったご苦労や冷静で真摯な対応、社会への警鐘が忘れ去られることの無いようメディアの再考を望みます。

1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。 60歳だった。

午前6時半、レースのついたピンクのパジャマに身を包んだ澄子さんの遺体は義行さんに付き添われて、松本市内の病院から同市北深志の自宅に到着した。「やっと帰れたね。わが家だよ」と義行さん。部屋に入ると、バッハの「ロ短調ミサ曲」のCDをかけた。澄子さんを送る時に流す曲と決めていた。 東京から駆けつけた長男(29)は義行さんに「ありがとう」と言い、長女(30)は澄子さんの死に顔に「今にも目を開きそう」と驚いたという。

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