2006年1月20日 (金曜日)

今朝の朝刊より

今朝の朝刊の一面では、ライブドア・ショックの特集記事、所得格差拡大は見かけの問題か、そしてコラムでの金色夜叉に出てくる高利貸は「アイス」と"るび"がふられていた(氷菓子→高利貸)から始まる消費者金融の話、の3つの記事が今の世を象徴する記事のような気がして目を引きました。最近つまらない購読紙を久しぶりに読む気にさせてくれました。



霧氷

経済の国際化が叫ばれ出して久しく、現代日本においてもグローバル化(高度な金融資本主義化と経済のヴァーチャル化、情報化社会の進展と生産労働の価値の低下、結果的には凡アメリカ化経済)は留まるところを知りません。小泉さんやそのブレーン、そしてそれを後押しする有権者(ほとんどはその犠牲者となることが約束されているように思われる会社人)は、改革の名の下に人間の業に忠実に生きることを望み旧勢力に立ち向かっています。何か、時代錯誤が力を得た明治維新の武力革命の前夜「夜明け前」を思わせます。



コラムニストは森鴎外の金色夜叉に関する評論を引用し、「人間は己が生存するに足るだけの物を得て、そこに満足することを飽き足らないとして、機会の許す限り、出来うる限り、生活の増長を謀るものだ、生存を願うのではない。増殖を願うのだ」と鴎外の言を借りています。当たり前と言えばそうですが、それだけに何らかのタガが必要でしょう。



紙面によると、社会的な所得分配の不公平さを図る尺度にジニ係数というものがあるそうです。2004年のOECDの発表によると、日本より不公平な国はアメリカを含め数カ国に過ぎないようです。国内の統計によれば90年代から不公平さが強まったようです。感覚として実感できる結果です。



正月早々につましく生き抜いた義理の妹が若くして亡くなりました。人間はいつかは死を迎えます。だからこそ、人間誰しも幸せな人生を歩みたいと願います。そしてその集団たる社会も構成する人間の幸せを求めるものでしょう。



一部の人間や集団の増殖が他の人間の犠牲の上に成り立つ社会からの脱却が歴史の大きな流れであるとすれば、現代のグローバリズムはどう位置づけられるのでしょうか。輸出産業の隆盛の陰で生に係わる国内産業が衰退している現実は人間の幸せに繋がるのだろうか。株式の操作で巨万の富が得られる一方で物の生産に係わる人間の価値が低下している現実は我々が求める世界なのだろうか。少子高齢化対策が声高に叫ばれているがコンピュータ技術の発達や日本の資源を考えた場合に本当に人口の増加に耐えられるのだろうか。際限なく続く競争社会の行き着く所は。今でさえ悲鳴を上げる自然の中で人間はどこまで増殖するのだろう。人間個々人は単に消費者ではないし又生産機械でもないと思うのだが。

新年早々、いろいろと考えさせられる2006年のスタートとなりました。

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